An Interview with Shuichi Kawanobe, Director of Our House Party [Osaka Asian Film Festival 2022/Rainbow Reel Tokyo 2022]

Shuichi Kawanobe, director of Our House Party

Japanese cinema has many gay-themed films in its canon. Titles that come to mind include Hush! (2001), Okoge and Twinkle (both 1992), Funeral Parade of Roses (1969) and Afternoon Breezes (1980). We are also currently living through a boom in adaptations of Boys Love (BL) manga with titles like The Cornered Mouse Dreams of Cheese (2020) and even stories about people who like the genre like BL Metamorphosis (2022). How many of these films reflect the true experience of gay men in Japan is up for debate but Our House Party (2022) definitely is an open and honest slice of life from the gay community and it is currently on the festival circuit.

Our House Party is an indie feature film from Shuichi Kawanobe, a graduate from the Fiction Course at The Film School of Tokyo. His filmography includes Offline (2014) and Lull (2017), the latter of which was selected for the SKIP City International Film Festival. In Our House Party, he channels his own experiences and research into the lives of a diverse group of gay men to bring to life the titular house party. Kawanobe works with his cast to give us glimpses of different types of gay men and then turns the party into a forum for the heartache of being gay in a conservative society. Audiences will find that it is a dramatically accomplished explosive moment of emotional release after being caught up in the various currents of the story and absorbed into the atmosphere of the party. This is thanks to writing that is easy to get into, the great performances of the cast, and cinematography from Masami Inomoto (A Beloved Wife (2020)) which places us in this intimate space. You can read more of my assessment in my review.

Following its screening at the Osaka Asian Film Festival 2022 and on the eve of its screening at Rainbow Reel Tokyo, director Kawanobe went in depth in this interview to talk about the origins of this film, working with his ensemble cast, and the dynamics of being gay in Japan. This interview was done thanks to the stellar work of translator Takako Pocklington and co-ordination of Osaka Asian Film Festival staff.

The Japanese-language interview is followed by the English.


 

Japanese

お忙しい中、回答にお時間をとっていただきありがとうございます。このインタビューが、監督の意思を読者にきちんと伝える機会となればと思っています。

日本の、ゲイをテーマにした映画の歴史は長く、今思い浮かべるだけでも、『ハッシュ』、『おこげ』、『きらきらひかる』、『薔薇の葬列』、『風たちの午後』などが挙げられます。また昨今、BL漫画(『窮鼠はチーズの夢を見る』)や、そのジャンルが好きな人たちを題材にしたマンガ(『メタモルフォーゼの縁側』)など)の実写映画化がブームになっています。

映画が、世間にセクシャルマイノリティの理解を深める力添えになるとは思うのですが、セクシャルマイノリティを描いた話の多くは、その外側の人たち(セクシャルマイノリティではない人)の視点で描かれているように思います。その点において、この映画『ボクらのホームパーティー』は違うと感じました。それは、この映画では、ゲイの登場人物をできるだけ忠実に描こうと、純粋に尽力されているからだと言えるでしょう。監督は、ゲイをテーマにした映画を作っただけでなく、日本の社会が未だに保守的であるにもかかわらず、ご自身がホモセクシャルだということも包み隠さずオープンにされています。セクシャルマイノリティの人たちに対する、ここ最近の社会のとらえ方について、監督ご自身はどういうふうに感じてられますか?

靖がベランダで一人外を見ながらタバコを吸っているカットが個人的に気に入っています。どこか物悲しさを感じさせる靖の背中もとても好きです。

ゲイや同性愛について偏見や差別する人は昔に比べて減ってきているように思います。そして、クローゼットから出る(カミングアウトする)人々も増えてきました。ただ、だからといって会社や居酒屋で自分のセクシャリティについて赤裸々に話すことはできないし、同性同士、外で好きな人と手を繋いだりすることはまだまだ難しいです。そういう宙ぶらりんの状況の中にいます。完全に外の世界に出られたわけではなく、やっぱりまだどこか家やリビングの中に閉じ込められ続けている気がします。

家の中であれば気兼ねなくゲイ同士で楽しくホームパーティーができると思っていながらも、友達の前では恋人同士の関係を隠したり、また、大切な人がいるのに別の誰かを求めてしまったり・・・。

日本はまだまだオープンにものが言えない状況が続いていると思います。映画の中で靖が、パートナーの彰人と二人で仲良く映っている写真立てをクローゼットにしまうシーンがあります。少し説明くさいシーンになっているかもしれませんが、ようやく出られたクローゼットに、今度は自分達の大切なものをしまっていってしまう悲しさをこのカットで描きたかったです。

大切な人ができても結婚できない、子供もできない、そして、会社や家族にも大切な人がいるということを告げられない現実があります。普通に生きていけるし、楽しく飲みに行ったりもできる。好きな人がいたらもう何も辛いことなんかないはずなのに、どこか何か足りない。まるで宙に浮いているように毎日を生きている。そして、ベランダから外の景色を見ていいなと思ったりする。そんな状況が自分の中では続いています。

Our House Party Tomoya (Takashi Hashizume), and University Friends

この作品はどういうところから生まれたのでしょうか?また制作するにあたって、特にこういう人たちに観て欲しい、というのはありましたか?

前作で「凪」(英題:Lull)という短編映画を制作しました。女子高生二人組の彼女らだけにしかわからないある秘密が、警察からの取り調べや彼女らの回想を交えて、二人に何があったかを解き明かすミステリー作品となっています。

その作品の中で友達以上の関係性を求めてしまう、ある種同性愛に近い描写(近くに寄り添ったり、お互いを見つめあったり)を作中に入れたのですが、ある映画祭で「作り手が中年男性だと知ったことにより違和感や嫌悪感を覚えてしまうこともある」と、審査員の一人に評されたことがありました。

思春期特有の心情のゆらぎのようなものを表現したつもりでしたが、監督した自分の見た目や性別、年齢、セクシャリティが作品作りや評価に影響することがあるのだとその時気づかされました。凪の撮影時に自分がゲイであると公表して撮影を行なっていたわけではありません。その必要はないと思っていたから。しかし、その同性愛的な心理描写については、自身のセクシャリティを公表した上で、役者やスタッフに演出を説明した方が良かったのかもしれないと思うようになりました。

自分がゲイだということを隠すつもりもなければ、公表しなければいけない理由もありません。 でも、その宙ぶらりんの状態が僕の場合は、自身の制作活動に何らかの影響を与えていると思い、今回は自分のセクシャリティと向き合いながら映画を制作することを決めました。

そして、ゲイがテーマで何を撮りたいか考えた時に、パッと思い浮かんだのが昔行ったことのあるゲイのホームパーティーの思い出でした。事件も喧嘩も特に何かあったわけではなかったけれど、ものすごく楽しかった。ご飯を食べながら、お酒を飲み、たくさん話をした。そして、それと同時に帰り道はどっと疲れていたことも思い出しました。

特に面白かったのが、視線のやりとりでした。例えば、2人で話しているときにチラッと誰か別の人のことを気になっていたり、逆にじっと目を見て話てくれたり、視線の奥底からメッセージを送りあっているような気がしました。とてもスリリングで、その視線を映画に映し出したいと思い、このホームパーティーを題材に映画を制作することを決めました。

特にこういう人に見てほしいというのはないのですが、作品が完成してから見せたい人ができたので、その内容は後述したいと思います。

この作品には、いろんなタイプのゲイの人たちが登場します。どの登場人物も、現実にいそうな、身近に感じられる人たちであり、特に、彼らが気にかけていることは、愛されたいとか属していたいという、誰もが思う普遍的なものです。性格も容姿も年齢も違うあのキャラクターたちを描き出すのにどれくらいかかりましたか?いろいろリサーチされたのでしょうか?また、こんな感じのはあえて避けたいというような典型的ゲイタイプというのはありましたか?

シナリオがある程度形になるまで3年かかりました。ほぼ毎日シナリオのことが頭の片隅にはあって、何度も何度も改稿を重ね続けました。シナリオには、自分の実体験も含まれていますが、ゲイバーで出会った人や友人、過去付き合った恋人など多くの人から話を聞きました。”恋バナ”と称して、お互いに恋愛について話をし、膨大なエピソードを7人のキャラクターにエッセンスとして抽出していきました。

パートナーがいて同棲しているものもいれば、毎週末にお互いの家を行き来するカップル。女性と普通に結婚することも考えている人。浮気しているものや浮気されて悩んでいる人。本当にいろんな人がいて、誰一人として同じような話はなかったと思います。話を聞く中で、ゲイであってもみんなが同じような生き方・考え方をしているわけではないんだなと気付かされることが多かったです。

なので、7人のキャラクターについても、見た目や性格、身長、年齢もバラバラにしました。実際、ここまでバラバラなメンバーでホームパーティーを行うということは稀だと思いますが、あえて普段パーティーで集まることがなさそうな7人のメンバーが一堂に集まったら・・・という設定で描いています。そして、シナリオはあるものの、そのパーティー内での反応も一人の観客として見てみたかったです。

ゲイだからといってみんなゲイバーに飲みにいくわけではないですし、むしろ飲み屋が苦手な人もいます。特に、日本はゲイのイメージが固定化されてしまっている分、そのイメージをいったん解放するように、「ゲイだっていろんな人がいるんだ」というのをこの作品で感じてもらえたら嬉しいなと思います。そして、実際にホームパーティーに参加した気分になってくれたら嬉しいです。

Our House Party Cast HASHIZUME Takashi, KAGEYAMA Keiichi, MATSUMOTO Ryo, YOKORO Hiroshi, UNOHARA Keigo, KUBOTA Sho, INOURA Ryosuke 2

活き活きとして自然に沸き起こったもののように思える演技が、この映画では多くみられました。役者たちが、それぞれのキャラクターの心の軌跡(内面の変化:価値観の変化や内面の成長)を体現している時でさえ、自然にみえました。各カップルの(演技上の)相性がとても良いと感じたのですが、それぞれのキャラクターを役者の方たち一人一人とどのように作り上げていかれたのか、また、全員が集まった場面では、相互効果を引き出すためにどういう演出をされたのでしょうか?

メインキャストはワークショップオーディションで総勢100名の中から選出しました。全体のバランスを見ながら、身長・年齢・見ためや性格もバラバラな7人が揃ったと思います。

撮影前に11の打ち合わせも行いました。シナリオに役者自身の個性や考えを反映させたいと思い、シナリオの感想やお互いに恋バナもしました。作品内に性的な描写があることも口頭でも説明し、また、コロナ禍の撮影で不安に感じることがあるかなど、不安要素があるかどうか確認してから撮影に臨みました。

映画は大きく分けて前半と後半に分かれます。前半は各登場人物にクローズアップしたドラマパートだとすれば、後半は演劇のように複数人で一連の芝居が続いていきます。特に、後半のホームパーティーシーンは演じている役者本人の気持ちが少しでも入っていないと他のキャストに飲み込まれてしまうと感じました。嘘の芝居で成立できるシーンではないと思ってます。それくらい各キャラクターの感情・考えが役者自身から溢れ出していくシーンにしたかった。

そのために、段々と役に溶け込めるように、各キャラクターのドラマパートから順番に撮っていきました。智也、将一、正志・・・と一人ずつ演出していきながら、役者自身も自分の役のキャラクターを掴んでいく。そして、各々のドラマパートを撮り終えて、ホームパーティーシーンの撮影に入ります。そこで最終的に7人が集結する様子がなんだかアベンジャーズみたいだね、とスタッフの誰かが冗談混じりに言っていたのですが、まさにそういう感じでみんなパワーアップして、集結している感じがしました。徐々に役に入っていけるような環境もスタッフみんなで作っていきました。

メインキャストの7人は撮影中は仕事仲間でありライバルでもあって、撮影が終われば信頼できる役者仲間になったりもします。ホームパーティーシーンは誰一人かけても成立しないし、自分だけが良くてもシーンとしては成り立たない。そういった緊張感とみんなで支え合うようにして撮影に臨めた結果、スリリングでかつドラマチックなステキなホームパーティーシーンを生み出してくれたと改めてキャスト・スタッフに感謝しています。

セリフの量が多く、ほとんど動きのないカメラワーク、そして限られた場面設定、まるで舞台を見てるような気がしました。にもかかわらず、役者に焦点があてられ、各人物の微妙な表情の変化もカメラが捉えていて、映画的な面を残しています。登場人物の表情や会話を重視している点で、ジョン・カサヴェテスの作品を彷彿とさせるところがあるように最初は感じました。でもおそらく限られた予算によるものだろうと。監督はどういった映画に影響を受けたのか、また、この作品のビジュアルをどういうふうに決められたのか、少し聞かせていただけますか?

参考にした作品はいくつかありました。それこそまさにジョン・カサヴェテスの「フェイシズ」は、役者の決定的な演技をどう撮れば良いか参考にしましたし、ホームパーティーシーンは成瀬巳喜男の「娘・妻・母」の家族会議のシーンも参考にしています。そして、ウィリアム・フリードキンの「真夜中のパーティー」も参考にしています。2020年にネットフリックスでもリメイクされていましたが、ゲイのホームパーティーを映画にしたいとシナリオの構想を話している際に、ゲイバーの店子(店員)さんから教えてもらいました。ただ、作品を観て、ホームパーティーシーンがずっと続くのは映画だと途中疲れてしまうと感じたため、「ボクらのホームパーティー」では、前半が各キャラクターのドラマパート、後半はホームパーティーシーンのという2部構成にしました。そっちの方が”映画”で作品を作る意味があると感じたためです。

また、撮影監督を務めた猪本雅三さんの力がとても大きかったなと感じています。猪本さんは、『M/OTHER(1999/諏訪敦彦)や『TOKYO!(ミシェル・ゴンドリー監督)など、即興演出やリアルな役者の演技・表情を捉えるのがうまいカメラマンだと思っています。猪本さんにも参考にしている映画を伝えた上で、撮影プランを練りながら撮影を進めていきました。

特に、ホームパーティーシーンは一番長いシーンで、一連の芝居が15分続くシーンを、ABカメラで合計24カットに分けて撮影していきました。同じカットも2、3テイク取り直したり、長いカットで3〜5分間くらいカメラを回しっぱなしだったりと、撮影も、編集も大変だったんですけど、猪本さんとBカメラの新里勝也さんが役者に振り回されることなく、執念を持って役者を捉え続けていただいたおかげで、決定的な表情が撮れたのではないかなと思っています。

また、後半のホームパーティーシーンは長く、ワンシチュエーションが続くこともあり、画にも変化をつけていきたかったので、パーティー後半に進むにつれて、顔の表情がよりアップに映るよう、少しずつ顔に近づくようなカットにして、撮影・編集を行なっています。ぜひ本編でチェックしてみてほしいです。

この作品は上映時間のほとんどを、日本のゲイの人たちの暮らしに焦点をあて、それを写実的、かつきめ細かに描写しています。しかし同時に、監督が主張したいと思われることを、観客が見過ごせないやり方で押し出し、教訓的な面が露わになります。観客の中には、ウォン・カーワイの『ブエノスアイレス』の手法を思い起こす人もいるかもしれません。あの作品は、ゲイであることで生じる問題には直接触れず、あるゲイカップルの恋愛(悲恋ですが)を描いています。 『ボクらのホームパーティー』における率直さは、ゲイをテーマにした映画に対する働きかけ方として、従来よりも良いものだとお考えですか?

ゲイ映画だと「ブエノスアイレス」や「ブロークバック・マウンテン」、最近だと、「ムーンライト」や「君の名前で僕を呼んで」「マティアス&マキシム」などが挙げられるかと思います。どの作品も好きだし、魅力的な作品だなとは思うのですが、映画を見終わって映画館を出た後に毎回、「でもこれは自分の物語ではない」と思ってしまいます。だって、現実はこんなロマンティックでもなくて、悲恋ですらないことの方が多いから。観ているときは面白いと感じているのに、帰り道に冷静になってしまう自分がいます。

また、日本にはゲイポルノというものが存在します。DVDやオンラインでの鑑賞は難しく、限られた数少ない上映館に行かないと作品を観られません。ポルノ映画なので濡れ場ありの1時間程度の映画なのですが、個性の強いキャラクターが登場するポップで明るい作品もあれば、SMを扱って哀愁漂う物静かな作品もあります。

ただ、いろんな作品を思い起こす中で、ゲイの人々の生活をリアルに切り取った作品はあまりないなと感じ、だったら今回は、ゲイの人々の日常を誇張せずに、なるべくありのままの姿で描こうと決めました。映画の中で描かれるシーンの多くはきっとゲイの人だけでなく、多くの人の日常とリンクする部分があると思います。ただ、日常生活の中でゲイ当事者が感じる悲しい出来事・不快な出来事も数多くあることも事実です。映画の中でもいくつか描いてみましたが、その全てに気づく必要はないと思っています。そして、そのようにして、観客は自分の日常と登場人物であるゲイの彼らの日常を行ったり来たりすることになります。

その行ったり来たりするテンポも映画の後半に進むにつれてどんどん早くなっていきます。いつしか観客はホームパーティーに招かれたもう一人のお客となり、最後のシーンで再び映画の観客に呼び戻されます。この作品をセクシャルマイノリティの悲惨さを訴える作品にしたいとは思っていません。ただ、最後のシーンで、映画の観客として再び自席に着いたときに、何を思うのか、ぜひみてくださった方の言葉で感想を聞くことができたら嬉しいです。

Our House Party Masashi (Keigo Unohara) and Naoki (Sho Kubota)

今後、日本はセクシャルマイノリティについてどのように変わっていくと思われますか?

 映画が完成し、できたばかりのチラシを久しぶりにあった知り合いに、渡したときに言われた言葉が今でも印象に残っています。「申し訳ないけど、チラシを受け取れない。自分には子供がいて、チラシを見たら同性愛について調べたりして、自分の子供が自身の性について、ひどく困惑してしまうかもしれないから。」一瞬思考が停止し、なんて答えたらいいのかわからなくなりました。「そうですよね」という取り繕うような肯定的な答えも、「それどういうこと?意味わからない」などという否定的な返事もできずに、ただ頷くことしかできませんでした。

僕がゲイとして生きることは否定するつもりはないけど、自分の子供にはまだそういう世界を知るのは早いからというようなことを言っていた気がします。その人には中学生の子供がいて、親心としては、そういうふうに感情が動くのだなと思いました。僕自身その人の発言を納得できたわけではないです。でもその答えがとてもリアルだと思いました。自分達ゲイが感じることのなかった、リアルな答えがそこにあって、隣にいるのにとても遠い存在に感じました。

自分が映画を作らなければ、この反応とは出会えなかったと思う。だから、作ってよかったと思っています。きっとみんな思っていることや考えが人によって全然違ったりしていて、でも、スマホやインターネットの普及、SNSの流行などにより会話が表面的になり、何かについて議論したり話す機会がどんどんなくなっていっている。だからこそ、映画や演劇、小説や漫画などで、あるテーマにぶつかったときに、それまで沈んでいたその人の考えが初めて浮かび上がってくる、そんな気がしています。

僕は大学で初めて二丁目やゲイバーに行き、初めてゲイの友達ができました。けれど、もっと早く中学生・高校生の時に、ゲイの人と出会いたかったです。ゲイの友達がいたら嬉しかった。この映画を作って初号試写をして、誰に一番見せたいか考えたときに、高校生の時の自分に見せたかった。まだ好きな人に好きと言えなくて、恋することに臆病になって、好きという気持ちを閉じ込めて生きていたころの自分に見せたかった。その時にこの映画と出会えていたらどう感じたんだろうなと。そんでもって「もっと世界は広いから大丈夫だよ」とか「いつかゲイの友達もできるからそんな心配しないでね」とか、映画を通してそういう言葉を投げかけたかった。

若い時にセクシャリティについて学校で教えられた記憶はほとんどありません。セックスや病気について授業で扱うことはあったとしても、同性愛については何も教わらなかった。”ホモ”とか”おかま”とか学校の教室でからかわれてもそれを本気で怒って、止めさせる大人もいなかった。言われた僕もそれを笑うしかなかったし、誰かが言われても同じように笑うことしかできなかった。

そんな自分を悔やんでいます。そして、その時どうすればよかったのかいまだにわからない。少なくとも大人が子供に手を差し伸べてあげることはできたのではないかと思います。そういう後悔を自分より下の若い世代にしてほしくないなと思うし、させたくないなと思っています。セクシャリティに対して日本ではどのように変わっていくか予測がつかないけれど、自分も含めて若い世代の人が、これからのセクシャリティを形作っていくと思うし、僕は自分より下のこれからの若い世代の子達にもっと反応が返ってくるように投げかけていきたいと思っています。それこそ中学生・高校生などの若い世代の子達により知ってもらいたい。そして、セクシャリティとの関わり方もどんどん新しく変えていっていきたい。少なくとも、誰でも自分のセクシャリティについて、自由に話せる世の中になって、恋バナのように気兼ねなく話しができるようになったらいいなと思っています。


Our House Party Film Poster

English

Films can help further acceptance of people but many stories of sexual minorities are mediated through the perspective of people from outside of the communities. In this way, Our House Party feels different. Perhaps it can be said it is a film that better reflects genuine concerns of its characters more accurately. You have made a gay-themed film and you are open about your homosexuality while Japan is still a conservative society. What are your thoughts on how sexual minorities are currently treated?

I like the scene of Yasushi smoking alone on the balcony whilst looking outside. I love the sight of his back which is a little melancholic.

I think prejudice and discrimination towards gay people and homosexuality has decreased in comparison with the past. The number of people having “come out of the closet” has also increased. Despite this, I do not feel comfortable talking about my sexuality at an office or bar, and it still seems difficult for same-gender couples to walk while holding hands in public. We are in limbo like this. It seems like we have not fully come outside and have been locked in a house or living room.

Even though you think you can enjoy a house party with gay friends, you would hide your relationship with your gay partner in front of your other friends or you might seek someone else although you already have a steady partner. It is still difficult to talk openly about your sexuality in Japan. There is the scene in which Yasushi hides away the framed photo of his partner Akito and him posing happily together in the closet. It might be too much of an explanatory scene, yet I wanted to depict the sadness of hiding their precious thing (relationship) in the “closet” although they have just managed to come out.

There is this reality that you face even if you have someone you love; unable to get married, unable to have children, unable to tell colleagues, bosses, or family about your loved one. You can live just ordinarily. You can enjoy going for a drink. You are supposed to be content with your life when you have a partner. Nevertheless, you would feel something missing from it. You live every day like you are floating in the air, then would contemplate on the balcony whilst appreciating the scenery outside. I have been in this situation for ages.

Our House Party Akito (Keiichi Kageyama) and Colleagues

Where did the film originate from and did you have a specific audience you wanted to address with the story?

Previously I made a short film called Lull, which was a mystery unveiling what had happened to two high school girls. A secret they shared reveals the truth of the incident through interweaving a police interrogation with their reminiscences. What the girls wanted was something beyond friendship. I inserted some nuanced homosexual depictions (two girls nestling or staring at each other). A judge at a film festival criticised it because they felt uncomfortable and disgusted with the film after knowing the creator was a middle-aged man.

I meant to express something like the fluctuations of teenage emotions. It was then that I realised that my creative activities or reviews of my works can be affected by my appearance, gender, age, and sexuality. I was not open about being gay at the time when filming Lull. I thought it was unnecessary. However, I came to believe that I should have told the actors and the staff about my sexuality when directing them for the psychological portrait in the film.

I have no intention of hiding my gay identity, nor is there a reason for me to talk about it. Being in limbo like this, however, had affected my creative activities in some way so I then decided to make a film while facing my sexuality.

When I pondered what I wanted to film in a gay-themed story, I recalled a gay home party I went to in the past. There were no incidents, but I enjoyed it. We ate, we drank, and we talked a lot. I remembered feeling exhausted on my way home. I was particularly interested in the eye contact among us. For example, while in conversation, I would be conscious of someone’s gaze resting on someone or someone looking straight into my eyes. It seemed like sending a message with line of sight. I wanted to illustrate it and decided to make a film about it.

I don’t have any preference for an audience for the film, but I did have someone whom I wanted to show it to after the completion of the shooting. I am going to describe that later.

You present a range of gay character types that feel authentic and easy to relate to, especially as many of their concerns, such as the desire to be loved and belong, are universal ones. How long did it take you to write this collection of characters in the film? Was there a lot of research and were there any stereotypes you wanted to avoid?

It took three years to form the script. I rewrote the script many times since it was in the back of my head every day. The story contains not only my experience but stories I collected from people I met in gay bars, my friends, and ex-partners. We talked about our love interests, “Koi-bana” (Koi means ‘love’, Bana is an abbreviation of Hanashi which means ‘story’). I collected several stories and then extracted them into the seven characters.

Some have a partner they are living with. Some are in a relationship and spend weekends at each other’s place alternately. Some are considering even getting married to women. Some are cheating and some are bothered by their partner cheating. I met so many different types of people. No one seemed to share the same story with others. I realised that we all have different ways of living and seeing things although we are gay.

Therefore, I made seven characters who are different in appearance, characteristics, heights, and ages. In real life, I guess it rarely happens to have a house party with a diverse group like that. Nevertheless, I wrote the story with those seven people who would be unlikely to gather together. I also wanted to watch their reactions at the party myself as an audience member even though I wrote the script.

Not all gay people go for a drink at gay bars. Some of them feel uncomfortable being at bars. Since people tend to have a fixed image of gays in Japan, I will be happy if people can shake that image off with this film. Like “See, there are lots of different types of gay people.” Also, I would be pleased if the audience could feel as if they actually joined the party.

Our House Party Cast

The film features a lot of acting that feels dynamic and organic to the moment even as the performers travel along clear character arcs. The chemistry between different sets of characters works well. How did you build up each of the characters individually with the actors and the group dynamic between the ensemble?

I chose the main cast from audition workshops in which 100 people participated. I considered the overall balance and chose those seven with various heights, ages, appearances and characteristics.

I also had meetings individually with them. I wanted to reflect their personalities or ideas in the script, so we talked about how they found the script and also shared our ‘Koi-banas’. I told them the film contains sexual content and asked if they had any concerns about filming during the COVID-19 Pandemic. I checked matters they were concerned with, then started shooting.

The film has a two-part structure. The first half of the film focuses on the individual characters in a drama style and the second half is like a stage play in which several actors perform the sequences. I thought, especially in the party scene, that if any of them couldn’t fully commit to his performance, he would be overshadowed by others. The party scene wouldn’t work out if their performances were not genuine. I wanted to make the scene reach that level of intensity with which the characters’ emotions and thoughts were exuded by the actors themselves.

That is why I started shooting from each character’s narrative part to let the actors be able to build up their characters gradually. I started directing from Tomoya, Shoichi and others one at a time, so the actors could capture their roles. After shooting the drama part, then I filmed the house party scene. Some staff jestingly said, “This is like The Avengers” as the shooting style, in which the seven characters finally assemble at the party, was similar. Actually, it was. The staff boosted their morale and we really felt that we came together and created an environment for the actors to transform into the characters.

The main cast was not only work colleagues and rivals during the shoot but also acting buddies outside of the shooting. The ensemble wouldn’t have worked out if one of the actors had missed out or if only one of them had performed better than the others. As a result of the tension and their co-operation, the home party scene came out to be thrilling and incredibly dramatic. I greatly appreciated the cast and the staff.

The film feels like a stageplay as it is dialogue heavy, has very little camera movement and few locations and yet it remains cinematic because the focus is on the performers, the camera often resting on faces to show subtle reactions. In some ways, with the focus on faces and conversations, initially I was reminded of John Cassavetes in style but I also imagine it is a result of a limited budget. Could you talk a little about your film inspirations and how you designed the visual style of Our House Party?

There are some films I referred to. Faces by John Casavetes was the exact one I referred to in capturing the defining performance of each actor. I used the family meeting scene from Daughters, Wives and a Mother (by Mikio Naruse) and The Boys in the Band (by William Friedkin) as a reference for the party scene.

The film The Boys in the Band was remade on Netflix in 2020. A member of staff at a gay bar mentioned this film when I told him about my idea of making a film with the theme of a gay party. But after watching it, I thought that viewers would get tired of watching if a party scene goes on endlessly in the film. Therefore, I made it a two-part structure with the character introduction drama part in the first half and the house party party in the second half. I thought it was meaningful to make a work in “film” format in that way.

I hugely depended on cinematographer Masami Inomoto. He worked for M/OTHER (by Nobuhiro Suwa) and Tokyo! (by Michel Gondry). He is a great cinematographer who is especially good at directing ad-libs and capturing actors’ true-to-life performances/expressions. I told him about the films I referred to and proceeded to shoot whilst discussing the shooting schedule.

The party scene was the longest one to shoot. We had a series of 15 minute-long scenes which we broke down into 24 shots and filmed using A and B cameras. We had two or three retakes for the same shot and kept cameras rolling for 3 to 5 minutes for longer shots. This made shooting and editing hard work. It was thanks to Inomoto and Katsuya Niizato on B camera, who persistently concentrated on the actors without being distracted by them, so I think we managed to capture their exquisite facial expressions.

As the party scene in the second half is lengthy and held in one situation, I wanted to create some variation visually. In shooting and editing, I made the scene in a way where we are slowly zooming into close-ups to capture their facial expressions while the party progressed. I would like you to check it in the film.

Our House Party Cast HASHIZUME Takashi, KAGEYAMA Keiichi, MATSUMOTO Ryo, YOKORO Hiroshi, UNOHARA Keigo, KUBOTA Sho, INOURA Ryosuke

The film feels like a realistic and nuanced depiction of gay life in Japan for most of its running time but it becomes openly didactic in how it addresses issues so as to reinforce the points you want to make in a way the audience cannot miss. Some may look at the approach of Wong Kar-wai’s Happy Together (1997) which presents a gay romance (albeit, a doomed one) without being as direct about its politics. Would you consider Our House Party‘s directness a better approach for a gay-themed film?

Titles that come to my mind are Happy Together (1997), Brokeback Mountain (2005), and, more recent ones, Moonlight (2016), Call Me By Your Name (2017), and Matthias & Maxim (2019). I like them all. These are all excellent films. However, when I come out of the cinema every time after watching these kinds of gay-themed films, I think “This story is not mine”. It is because the reality I have faced is rarely as romantic or tragic as the one in the films. I enjoy watching them at the cinema, but I lose excitement on my way home.

There is also gay pornography in Japan. It is tricky to watch on DVD or online. You can watch them only in a few cinemas. These films contain sex scenes and the screen time is usually about an hour but there are different types, light-hearted ones where characters have strong personalities or melancholic ones with S&M.

I realised that there are not many films depicting the real life of gay people. I decided to portray their lives without exaggerating. I think most people will be able to relate to the scenes sketched in the film, not only gays. Yet, it is a fact that there are lots of sad or unpleasant incidents that gay people face in everyday life. I illustrated some of them, but it is not necessary for the audience to notice all of them. In this way, the audience will move back and forth between their lives and the lives of the gay characters in the film.

The pace of moving back and forth gets faster as the film flows into the second part. The audience imperceptibly becomes another guest at the party, but at the end of the film, they are called back into their reality. The film isn’t a statement about the misery of sexual minorities. However, I would like to listen to what viewers thought when they returned to their seats as an audience member after the final scene.

Our House Party Tomoya (Takashi Hashizume), and Shoichi (Ryosuke Inoura) in shinjuku 2-chome

How do you think Japan will change in the future with regards to sexual minorities?

After completion of the film, I gave the freshly printed leaflet to one of my acquaintances whom I saw for the first time in a while. What he said is still stuck in my head. “I’m sorry, but I cannot take this home. I have a child and if they saw the flyer, they might do some research on homosexuality and get confused about their own sexuality.” My brain stopped thinking and I didn’t know how to respond to his words. I could not be conciliatory and say “Sure, I understand” or be offended and say “What do you mean?”. All I could do was just nod.

I am sure I remember him saying something like that he wouldn’t deny the way I live as a gay man, yet he considered his child is still too young to know about that kind of thing. I understood that the acquaintance has a child in junior high school and, as a parent, he was concerned about it from that perspective. I didn’t accept what he said, but his response was a realistic one. There was a real answer which we gay people have never perceived, it was here between us, and it made me feel distant from him even though we were next to each other.

I would have never encountered this reaction if I had not made the film, so I am pleased that I made it. I am sure everyone has different opinions or thoughts, but opportunities to discuss or talk about things have become less and less. The wide use of smartphones, the internet and the global spread of social media have made our conversations superficial. Because of that, when someone is confronted with a theme (issue) in films, plays, novels or manga, the person’s submerged ideas come to the surface for the first time.

When I was a university student, I went to Shinjuku-2chome and gay bars and made gay friends for the first time. I wished I could have met someone gay earlier when I was in junior high school or high school. I would have been happier if I had had gay friends. When I thought about who I wanted to show this film to after the first preview, I wanted to show it to my former self, who is of high school age, who couldn’t say “I like you” to someone he liked, who had lived bottling up his honest feelings as he was timid about falling in love. I wonder how I would have felt if I had been able to see this film at the time. I want to say to that person, “You will be fine, because the world is big.” or “Don’t worry, you can make gay friends anytime in future”.

I don’t have any memories of being taught about sexualities at school when I was young. Issues such as sex or sexually transmitted illness were brought up in class, but nothing about homosexuality. Even when classmates made fun of me by calling me “Homo” or “Okama (gay man)”, there were no adults to tell my classmates off and stop them from doing it. I couldn’t do anything myself but laugh, and when someone else was also teased like that, all I could do was laugh. I regret being like that. I still don’t know what I should have done at the time. However, I think some adults could have been able to help reach out to these children at least. I don’t want younger people to regret it like me and I don’t want to let them deal with it. I can’t predict how Japan will change concerning sexuality, but I think the young generation including me will form the future of sexuality, so I want the younger generation to respond more to future generations. I want a young generation who are in junior high school or high school to have more knowledge about sexuality. I want to change the way people interact with sexuality.

I hope we will have a world we can talk freely about our sexuality and “Koi-bana” without any hesitation.

Our House Party can be seen at Rainbow Reel Tokyo on July 18th (Spiral Hall) and July 21st (Cinemart Shinsaibashi)

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